南極猿手帖

だいたい音楽の話(邦:洋=2:8くらい)をしている人です。ライブに月1~3回くらい行ってます。

高田純次とボズ・スキャッグスが似ている

 高田純次ボズ・スキャッグスの間には針の先ほどの関わりもないのだが、とにかく顔が似ている。

 

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ボズ・スキャッグスのことは詳しくない。We're All Aloneは好きだがあの手のMORを愛聴できるほどにはまだ人間として成熟できていないのだろう。だから音楽的に彼を語ることはできない。しかし高田純次に似ていることはわかる。今日たまたまTSUTAYAで見かけた高田純次が洋楽コーナーの一角を牛耳っていたため、驚いて二度見したところボズ・スキャッグスだったことに端を発する。この2人は似ている。

似ていると言ってももちろん、顔だけの話だ。内面にはなんら類似するところがない。ボズ・スキャッグスは適当な男ではないはずだ。いやもしかすると絵に描いたようなずぼら男なのかもしれないが、少なくとも彼の音楽からは適当さを感じられない。むしろとても丁寧な感触だ。こうなると、困ってくる。これ以上高田純次ボズ・スキャッグスを結びつけて何かを語ることができそうにないのだ。

ボズ・スキャッグスの曲は2、3曲しか挙げられないのに、高田純次と似ているという一点のみをもって記事を書こうとしたことが間違いだった。こちとらなんなら高田純次のこともよく知らないのだ。

むしろ高田純次のことを深く知ると豪語できる人がどれほどいるだろうか。いたとすればなぜあなたは高田純次に興味を抱き、彼について深掘りするというおよそ生産性の感じられない行為に時間を費やしたのか。興味深い。深掘りしたい事実だ。

 

・・・そうだ、平井堅の話をすればよいのではないか。

 

唐突だと思われるだろうか。何故ここで何の関わりもない平井堅が現れるのか。話の変わり方が青天の霹靂レベルだと罵られるだろうか。だが聞いてほしい。

平井堅は、先述のWe're All Aloneをカバーしているのである。どうだ。だからなんだという感じだろう。『平井堅ボズ・スキャッグスのカバーをしているので、高田純次との相似性の話で突如平井堅が割って入っても差し支えない。』

論理の飛躍とはこういうことを言う。いや、すでに論理の体をなしていない。日本人なので、論理性のない話を堂々と展開してみせる。日本人なのだ。日本人は論理ではなく、雰囲気や不文律で動く。だから平井堅について突然話し始めたとしても、それは国民性だと思って許容いただきたい。

 

しかしここで不都合が顔を出す。先ほどまでの鮮やかな詭弁により、晴れて平井堅について語ることが可能になったわけなのだが、平井堅に関する知識が早くも底を尽きそうということだ。平井堅についてもよく知らないのである。平井堅にさえ話を持っていけば、ネタなど湯水の如く湧いてくるだろうと思われたのだが、平井堅にそこまでの力が無かったということだろうか。しっかりしてほしい。

 

千文字の目標に達したので、平井堅はさておいて筆を置こうと思う。最後にお世話になったボズ・スキャッグスの宣伝をしたい。彼は来たる5月7日から9日にかけて3日間、Bunkamuraオーチャードホテルにて来日公演を予定している。素晴らしいライブになることは間違いない。2、3曲しか知らない僕ですら確信を持って言えるのだ。きっと往年のファンは感涙に咽び泣くことだろう。チケットを買おう。