南極猿手帖

だいたい音楽の話(邦:洋=2:8くらい)をしている人です。ライブに月1~3回くらい行ってます。

昔のロッキンオンを読んだら面白かった話

ちょっときっかけがあって、90年代のロッキンオンを読む機会があったんですけど中々おもしろかったです。

 

95年とかその辺の号だったと思うんですけど、例えばベックが鳴り物入りの大型新人として取り上げられていたり、ディスクレビューでブラーのパークライフが出てきたりと「きゅ、きゅうじゅうねんだい~~~~~!!!」快哉を叫びたくなるような90年代っぷりでありました。

 

巻頭で「セックスと映画となんとか」みたいなちょっと攻めたコンセプトで特集が組まれていたりと、今よりも自由度の高かった時代を思ってほくそ笑むこと必至。

さらに面白かったのが、ミュージシャンのインタビュー部分を含め全体的に文体が良い意味でイキってるというか、「我々、カルチャーの最先端担ってますんでイェ」みたいな矜持が文章から読み取れるところ。「~じゃない?」みたいな言葉遣い、すごい目につくーーーー!(IKKO)

 

 

音楽。映画。雑誌。サブカルチャー

 

 

90年代。音楽産業が元気で、雑誌も売れ、サブカルチャーがマスに進出し、インターネット普及前のためか明確にシーンのようなものが存在し、それでいて雑然とした雰囲気の時代。大きな物語が解体されながらも、まだどこか幻想に縋ることができた時代。あゝ、90年代…雑誌の切り抜きを下敷きに入れたりたまごっちを放置してにょろっちに堕したりしたいよぉ…。

 

 

というのはまあ前置きで、一番面白かったのが、「募集」のコーナー。

読者の「これこれこういう人を探してます。連絡ください」みたいなことを書いた記事が掲載されるコーナーで、例えばバンドメンバー募集でもいいし、同じ音楽趣味の人と交流したいってのもあるし、ストレートに遊ぶ女が欲しいみたいなのも載ってるんですけど、全部「実名+本物の住所」がセット。

 

いまでこそSNSがあるので同好の士なんてのは簡単に見つかるわけですけど、ネットすら無かった時代、自分の行動範囲より外で知り合いを作ろうと思ったらこうなるのは当たり前なんでしょうけど、すげえなあと感心しながら見てました。

 

何がすごいって「社会性ってのはそんなに大事かネ。ロックで繋がった気楽なフレンド、探してます(25歳、鈴木隆)」みたいな文章がなんの突っ込みもなく載ってるところ。全然関係無いのになんか顔が熱くなってきますね(共感性羞恥)。あの時代に20代以下だったら絶対やってた自信ある。

もし自分があの時代に投稿してて、今それを読み返したらと想像すると…現存する雑誌をひとつ残らず燃やしにいく旅に出るまである。

 

載ってる文章のほとんどがTwitterで見かけるちょっとあれな感じのおっさんの文体と酷似してる点もポイント高い。「周りに洋楽聴いてる友達がいなくて、トホホ…。チョー語り合いたい。連絡待ってるヨ」みたいな。「そうか、ここにいたのか、お前ら…」みたいな謎の感動に心打たれました。みんな昔は若くて、恥ずかしかった。

 

 

さて翻って恐ろしいと思うのが、90年代の雑誌と違ってネット上の文章は永遠に残る上に簡単にアクセスできるところ。例えばTwitterって遡れば2009年くらいの呟きも見れちゃったりするんですけど、それがしっかり残ってていつでも閲覧できてしまうわけです。実名や住所は載ってないものの、今自分が打ってる痛い文章を将来誰かに掘り起こされる可能性は普通にあるわけで、そう思うと他愛ない発言でも丁寧にしていかねばと自戒した次第です。現場からは以上です。