人間関係のメンテナンスが苦手
気づけば友達が少ない。
現在の自分を取り巻く人物相関図が恐ろしくシンプルになっている。矢印が親族以外にほぼ向かない。ある意味非常に身軽である。
一方しがらみがない分、人との関わりという点で生活は味気ない。
元々友達がいなかったのだろうか。しかし思い返せば学生時代、全くのぼっちになったことはなかった。課題のことを相談するくらいの友人は常に欠かしたことがない。
しかし比較的友人の数が多かった小学生時分と比較して、明らかに現在、手持ちの交友関係が少ない。
そこには大したからくりはなく、自分はただただ「人間関係のメンテナンスが苦手」というところに尽きるのだろうなあというのがここ最近の結論である。
卒業や就職で物理的に離れる。当然会う機会は減る。友人であるという意識が薄れていく。
しかし普通の人はここで、きちんとその関係を維持するための努力をしているのだなと気づいた。
学生時代の友人たちは、卒業後にも休みの日に一緒に出掛けたり、たまに飲みに行ったり、それが無理でもせめてメールを送りあったり、SNSでは相互フォローであったりと、人間らしい営みをもって関係性が薄れないようにしているのだった。
これがメンテナンスである。
人間関係というのは意外と維持費のかかる持ち物だ。労力や時間を惜しんでいると錆び付いていく。気づいた頃には触りたい気持ちも残されていない。
自分は明らかに人間関係の構築が元々下手だ。それゆえ現在抱える人間関係で手一杯で、喫緊で必要ではない(失礼)相手に対して全く気が回らない。過去のそれらに割けるリソースが少ない。当然自分も相手も互いを忘れていく。
そんなわけで長く続いた友人関係は、今限りなくゼロに近い。
昨日、SNSのトレンドに「人間関係リセット症候群」なるワードが食い込んでいた。
ふとした瞬間に、過去の関係をばっさり切ってしまいたくなる現象だそうである。
これを見て自分と似ているなあと思いかけたが、自分の場合別に積極的に切りたいと思って切っているわけではないなと改めた。
コロナ禍に入り、もうすぐ2年が経とうとしている。
半年に1回の飲み会で何とか繋いでいた人間関係も、なんだかもうすぐ切れそうな予感がする。
かといって、オンライン飲み会を持ちかけるほどの積極性は、やはり自分の中に生まれないのだった。