【槇原敬之】マッキーが語ったDesign&Reasonというアルバムの話
2月の話を4月にします!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
マッキーのコンサートに行ってきました。
マッキーは好きなんですけど、ファンとは公言しづらい程度。
オリジナルアルバムはほとんど聴いたことがなく、知っているのは最初期の有名曲と予習のために聴いたごくごく最近の曲のみ、とそれくらい。
でもなんとなくチケットを申し込んだらなんとなく取れたのでなんとなく行くことに。
ところが、数日前になってこれがニューアルバムのツアーだということに気付き、急きょ予習を始めます。
ニューアルバムはその名も『Design & Reason』。
3周もすれば結構曲も覚えてくるところが流石のポップセンスです。
突然 銭湯に テレビの!
カメラが 入ってきても!
隠すことさえ 忘れそうな!
そんな微妙なお年頃
(微妙なお年頃)
なにを言っているのか、それはよくわからないがニューアルバムはなかなか良い。
予習もそこそこに、いざコンサートへ。
全体的な感想としては、
・ステージセットがめちゃくちゃ凝ってた
・知らない曲がとにかく多かった
・でも「2つの願い」は聴けた
・年代の幅が広かった
・BEAMSとコラボしたステージ衣装が印象的
とそんな感じ。
さて本題。
今回のニューアルバムについて、そのコンセプトから語った内容が印象的だったのでちょっと思い出し思い出し書いてみます。(多分結構間違ってますが。)
【Design & Reasonというアルバムについて】
●そもそもは、母親からきたLINEに端を発するんですけど。誕生日の前日ですよ、母親からなんか恐ろしいLINEが入ったんですね。
それが「あんたは雷が鳴って雨がふりしきる嵐の日に生まれた」っていう内容で。
「ええ・・・・?」と。
突然そんなLINEが来てどう返事したものかという感じだったんですけど、それを読んでいるうちに、ハッ!とこういうイメージが飛んできたんですね。
空のうえで、神様が僕を作って、これから世に生まれるというときのことで。神様がすごく心配そうに見てるんですけど、「これからこういう姿で、こういう場所に、こんな風に生まれるために、行ってきます」って僕が行って、出発するっていう。
本当に一瞬のことだったんですけど、幽体離脱みたいにそのイメージが見えて。なんとなく「こういうアルバムを作りたいな」と思ったのが始まりです。
ほら、だって、(自分の顔を指しつつ)もう少し作りようがあったと思うんですけど(笑)。例えばね、福山雅治くんみたいな顔に生まれてたりしたらもうだいぶ違ってたんじゃないかと。
でも僕はこういう風に生まれてきた。
だから僕は「歌を歌って、それをみんなに届けるために、こういう形で生まれてきたんじゃないか」と。そういう風に人が今の姿で生まれてくるのには理由があるんじゃないかなっていうのがコンセプトになっています。
●ある日朝方まで曲を作ってて、ふとマックが食べたくなったもので、新宿(?)のマックに買いにいったんですね。そしたら店員さんに「いつも応援してます」なんて言われちゃって。別に変装してたわけじゃないんでいいんですけど、まあ朝方だし声かけられることもないかなと思って行ったので…。
それで、車に戻ってマックを食べながら外の様子を見てたんですよ。その頃、東京オリンピックが決まったり、築地の移転がもうすぐだったりする時期だったんですね。「あぁ、あの築地がもうなくなっちゃうんだなぁ…」なんて。
そういうことを考えているうち、なんだか他の人が決めた、他の人の未来に合わせて生きてるような気がしてきて。
全部自分で決めてやってみたいなーなんて思った記憶があります。それがこのアルバムにつながっています。
(以上が思い出せる限界でした)
細かい言い回しが思い出せないんですけど、要するに「みんな自分が今の姿にデザイン(Design)されて生まれてきたのには理由(Reason)があるんだ」っていうことを歌うコンセプトでできたのがこのアルバムだったというわけですなー。
単なる自己肯定よりは自己受容というか、そんな感じの印象です。
そう聞いて見るとまたアルバムの曲にも違った印象が湧いてくるから不思議。
...とすると「微妙なお年頃」はどういうコンセプトで生まれたんですかね。加齢の悲哀を感じる内容ではありますがよくわからない。